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人間関係において、嘘をつくのは普通のことです。人は様々な理由から嘘をつきます。例えば、他者に対してより良い印象を持ってもらうために嘘をついたり、または不調和をより目立たなくさせるため、確執を最小限に留めるための嘘をついたりもします。そうした観点から嘘は役立つかもしれませんが、関係を傷つけることも多々あります。 嘘が明らかになると信頼を失くし、嫌疑を引き起こします。なぜなら嘘をつかれた人物は、嘘をついた人物を疑うようになるからです 彼女による研究からは、男女ともに10分以上継続する会話の5分の1で嘘をつき、一週間では、一対一で対面する人々の30%に嘘をついていることが分かっています。さらに、十代の子供と親との関係においては、嘘の展示会のようになる時もあります。また多くの職種では、嘘が不可欠であると見なされます。私たちは、弁護士が自分の依頼人や記者のために、いい話を聞き出すためにありそうもないことをでっち上げるのを見出します

嘘をつくことは、私たちの社会にはびこる非難されるべき悪行です。他者を巧みな言葉で欺くことは、賢いと見なされています。著名人は嘘をつき、政府は嘘をつきます。私たちの時代に顕著なことの一つは、嘘をつくことがもはや汚点ではなくなっていることです。現代において、嘘は制度化されているのです。私たちはそれに基づいた社会に生きており、説得力のある嘘は合理的であるとすら考えるのです。嘘を元にして、国家は侵略され、戦争が始められます。彼らはこう言います。「我々は決して嘘などつきません。誤解を与える意図などはなく、ただほんの少し真実に手を加えただけであって、彼らこそが嘘つきなのです。」私たちの社会は、嘘を芸術の域にまで昇華させました。嘘をつくことによって嘘つきが信頼性をなくしたのは過去の話になったのです。

しかしイスラームでは、嘘をつくことは重大な悪であると見なします。神はクルアーンの中でこのように述べています。

“またあなたは、自分の知識のないことに従って(言って)はならない。”

(クルアーン17:36)

預言者(神の慈悲と祝福あれ)は常に正直であることの重要性と、習慣的な嘘の重大性について強調しています。「正直さは敬虔さに、敬虔さは楽園へとつながります。人は神によって正直者であると記されるまで正直でなければなりません。嘘をつくことは逸脱につながり、逸脱は火獄につながります。人は神によって嘘つきであると記されるまで、嘘をつくものです。  」正直であることとは、真実と一致すること、その状態を述べることであり、嘘の対極の意味です。嘘をつくことの悪質性は偽善と関係しており、そのことについて預言者ムハンマドはこう説明しています。「もし、誰かが次の四つの性質を有するのなら、その人物は完全な偽善者であり、それらのどれか一つを有するのであれば、それをなくすまでは偽善者の性質を持ち続けるのです。(それらはすなわち)信頼されたとき、その信頼を裏切ること。会話をするとき、嘘をつくこと。合意するとき、それを破ること。口論をするとき、真実から背き去り、虚偽を語ること。

イスラーム的には、最も悪質な嘘とは神、諸預言者、啓示について嘘を語り、虚偽の証言をすることです。私たちは、「忙しすぎて出来なかった」や、「忘れてしまった」などといったような嘘の言い逃れをすることについても気を付けなければなりません。またはそうする意思もないのに「明日電話するから」といった、他者が約束とも受け取れるような言葉を言うことも同様です。同時に、嘘をつかないことは不親切であるという誤解をしてはなりません。ありのままを言うのではなく、誰も傷つかないような小さなことについて嘘をついてはならないということです。このことは、発言に注意することで達成されます。

「決して嘘をついてはならない」というのは、イスラームにおける絶対的な原則なのでしょうか、それとも例外はあるのでしょうか? たとえば、殺人の対象を探している殺人犯があなたの家の玄関前にやって来たとしましょう。彼に対して、その対象の居場所を正直に教えることが道徳的であると言えるでしょうか? 哲学者カントはそれが道徳的であると書いていますが、イスラーム的にはそのような状況下でのみ嘘をつくことが許されています。

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