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審判の日の大きな兆候に関する包括的ハディース

大きな兆候は、審判の日からそう遠くない時期に発生するもので、一般的には「非日常的」またはセンセーショナルなものであると見なされます。

審判の日が起きる大きな兆候として、預言者(神の慈悲と祝福あれ)が述べた複数のハディースがあります。それには以下のようなものがあります。

イマーム・ムスリムは彼のサヒーフ(真正集)でこう記録しています。

フザイファ・ブン・ウサイド・ギファーリーは伝えている。「(我々が議論に勤しんでいると、)預言者が突然やって来て、こう言った。『何について議論しているのですか?』彼ら(教友たち)は言った。『最後の時についてです。』すると預言者は言った。『それは、10の兆候が現れるまではやって来ません。』そして彼は煙、ダッジャール、獣、西から昇る太陽、マリアの子イエス(二人に神の賞賛あれ)の降臨、ゴグとマゴグ、東の地、西の地、アラビア半島で起きる三ヶ所の地滑り、そしてその後に起きる火災によって人々をイエメンから合同の地へと追いやる出来事に言及した。」

また、ムスリムはサヒーフにおいて、このようにも記しています。

神の使徒は言った。「最後の時は、10の兆候が現れるまでは訪れません。(それらは)東方での地滑りと、西方での地滑りと、アラビア半島での地滑り、そして煙、ダッジャール、大地の獣、ゴグとマゴグ、西から昇る太陽、そしてアデン南方から発生する火災です。

上記と同じ出来事に言及した預言者のハディースは、他にもいくつか存在しています。それらのハディースにおいて、彼はそれらの兆候が最後の時の兆候である、と明確に指摘したわけではありません。預言者はそれらの出来事が発生する前に善行を行うよう、強い警告を発したのです。なぜならそれらの出来事は時の終わり、そして審判の始まりを告げ知らせるものだからです。アブー・フライラは神の使徒がこう述べたことを伝えています。

「6つの出来事が起きる前に善行に勤しむのだ。西から昇る太陽、煙、ダッジャール、獣、あなたがた(の死)、そして広範な紛争。」

(ムスリム)

このハディースで預言者が言及した「あなたがたの死」も特筆に値します。これも「最後の時」の兆候の1つです。最後の時の大きな兆候を学ぶこと、知ることは重要で興味深いことでもありますが、最後の日々を目撃することのない人々にとっては、彼らの死が最後の時であり、彼らはそれの支度をしておかなければなりませんが、多くの人々はそれに関して無頓着です。そのため、あるベドウィンが預言者を訪れて「最後の時はいつですか?」と聞いたとき、預言者はある男児を指差して、こう言ったのです。「この子が生き長らえ、年老いた頃になると、あなたの時はすでに起きていることでしょう。」(サヒーフ・ブハーリー)

大きな兆候が発生する順序と性質

ユースフ・アル=ワービルは、審判の日の大きな兆候が発生する順序に関しての明確なテキストは、発見出来なかったと記しています。既述されたような、兆候のいくつかをまとめて述べるハディースでは、「そして」「または」を意味する接続詞が付属しており、直接的な結び付きはありません。どちらの場合も、接続詞は出来事の順序について示唆してはいません。事実、アル=ワービルが述べるように、同様のハディースでは、出来事が異なる順序によって言及されているのですのカテゴリが確実に第のものよりも先に起きるというものです。第1のものは、この地球の性質が完全に変わらない内に起きるものです。それらの兆候は人々の目を覚まし、神への悔悟へ駆り立てるはずです。それらの兆候が起きている最中は、信仰者と不信仰者の区別は究極的に存在せず、復活が近いことを疑わせる要素も一切存在しません。この第一のカテゴリに含まれる兆候には、ダッジャールの出現、イエスの再臨、ゴグとマゴグ、そして地滑りがあります。

大きな兆候における第2のカテゴリでは、実際に復活の時が起きていること、そしてこの世の終わりになることが、誰の目にも明らかとなる場合です。それらに加え、信仰者と不信仰者は区別されます。それゆえ、それらの兆候が起きた後は、神への悔悟は出来ません。その時になって悔悟をしても手遅れであり、もう神によって認められないのです。このカテゴリにおける兆候としては、獣と煙の出現、そして西から昇る太陽などがあります。

また、これらの兆候が現れるときには、どうやらそれぞれの兆候がより早いペースで次々と現れるようです。預言者は述べています。

“兆候は糸でつながれたじゅず玉のように、次々に現れるでしょう。”4

またアフマドは彼のムスナド(伝承集)において、預言者がこう述べたと記しています。

“これらの兆候は、あたかも糸でつながれたじゅず玉のようです。もし糸が切れると、それらは(たちまち)連続するでしょう。”5

references

  1.  Yoosuf al-Waabil, Ashraat al-Saa’ah (Al-Damam, Saudi Arabia: Maktabah ibn al-Jauzi, 1989), pp. 183-186.
  2.  Ahmad ibn Hajar, Fath al-Baari bi-Sharh Saheeh Al-Bukhaari (Riyadh: Idaarah al-Buhooth al-Ilmiyyah, n.d.), vol. 11, pp. 352-353.
  3.   Cf., ibn Hajar, vol. 13, p. 77; al-Waabil, pp. 188-189.
  4.  アッ=タバラーニーのアル=アウサートにおける記録。
  5.  アフマドによる記録。


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